足を運ぶ、運んでいただく

12月3日の日曜日、背負子の行商《背負子 mobile store》で、弘前の《ゆぱんき》へお邪魔してきました。一日中降ったり止んだりの不安定な空模様であったにもかかわらず、たくさんの方々がお越し下さり、おかげさまで充実の行商となりました。改めて、ありがとうございます。

ちょっと話しは飛びます。今から1ヶ月ほど前、近所の飲食店さんが閉店なさいました。店をちょっと抜け出して昼食を取るには都合の良いお店でした。失礼ながら、お世辞にも繁盛してるとは言えない様子でしたが、近日閉店する旨のお知らせを表に張り出した頃から様子が変わりました。店の前に行列ができるようになったのです。そうなると、僕には並んで待つ時間は無いので、お昼ご飯の選択肢からは外れ、中の様子を知ることも無くなったわけですが、もし平常通りの人員配置(僕が知る限りお昼は概ねお一人でした)だったとしたら、さぞや火の車だったことでしょう。

「背負子も閉店することにしたら、こんな風に急にたくさん押し寄せたりするのかな。」

そんな思いが頭を過ぎりました。

その少し前だったかな、後だったかな、時々利用していた喫茶店さんが、最後の日までそれを公にすることなくひっそりと店をたたまれました。理由は定かではありませんが、僕には関わりのないことです。そこで過ごした心地よい時間を振り返りながら、あの喫茶店が存在する間に、この盛岡に居て良かったなと、惜しみながらもありがたみを感じています。

賑わいに反して胸を締め付けるやり切れなさ。沈黙に感じた清々しい潔さ。

行商の場合、ちょっとしたイベントのような趣があるので、商人、お客様、双方にとって非日常の空間ができあがります。そこでやっていることは普段と変わらないんですけどね。これが自分の店に戻ると、そうはいかない。昨日と同じように今日も背負子はここにあります。少なくとも今日は、いつもの盛岡の風景たり得ています。でも、明日は、明後日はどうでしょう。もしかしたら、パッと消えて無くなるかもしれない。

遅かれ早かれ、良きにつけ悪しきにつけ、いつか潮時はやってきます。ひとびとの日々の生活の中で存在価値を認められなければ、あるいはもう十分やりきったと思えば、それはやって来ます。その前に僕らはどれだけのことを為しているだろう。何を為すべきだろう。

行商でこちらから足を運べば、手間を惜しまず足を運んでくださる方々がいらっしゃる。店を構えた日常では、こちらから地元、近隣のお客様の元へ足を運ぶことは、なかなか叶わないけれど、その代わりにできる、お客様に足を運んでいただくに価する、僕らが日々かけられる手間は何か。来た甲斐があったと思っていただける、ささやかなもてなしとは。それを考えながらこの文章を綴っていたら、今日も閉店時間が近づいてきました。『蛍の光』を脳内再生くださいませ。最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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