ショーシャンクの食卓に#11 – 男子厨房を恐れるべからず

ちゃんとした料理について、いろいろと綴り始めたものの、前回は随分と取り留めのない文章になってしまった。ここは、一つずつ順を追って、あらためて考えていく。

まず〔料理を「ちゃんとする」ことに心を砕いている父親(男性)は、どれだけいるだろうか〕問題。個人差も世代間の差もあろうけれど、一般論として、男は見栄っ張りである。一般論とするのも乱暴なのかもしれない。僕はそう思っているとしておこう。で、見栄っ張りだから得意面を見せられないことにはなかなか手を出さない。家事や育児がその最たるものであり、ご飯支度は言わずもがな。

手は出さないが口うるさいのは、甚だ面倒くさい。手を出さない上に関心も示さないのは、料理をする側にしたら随分寂しいことだろうと思う。どちらにしても、見栄がそうさせている。見栄を張りたいから四の五の言い、見栄が邪魔をして無関心を装う。

その背景には、料理を何か高尚なもの、自分は持っていない特殊な技術を用いて行われるものと、無意識のうちに遠ざける心理が働いている気がする。要は劣等感だ。見栄と劣等感は表裏一体で、劣等感が強くなるほどに見栄も増長していく。家事から、料理から、遠ざかっていく。

これは、実にもったいないことだと思う。家庭料理は、そんなに劣等感を抱くほどにハードルが高くはないのだから。かといって、適当でいいというわけではない。低いハードルを如何に丁寧に越えるか。それが(家庭)料理に心を砕くということではないだろうか。例えば、梅干なんて梅を塩に漬けておくだけ。でもちゃんとそこに理り(ことわり)があって、それを料る(はかる)ところに極意がある。単純な中に極意があるなんて、いかにも楽しそうでワクワクしないだろうか。これを女性だけのものにしておくなんて、実にもったいない。女性だけでなく男性も、単純なところから料理を解し、味を解し、男女の垣根を超えて楽しさを分かち合えたら、どんなにいいだろう。理解者、協力者が、身近にいるか否かで、生活は大きく変わる。

お、いい流れになってきたかな?ここから先は「ちゃんとした料理」の本筋に入っていけそうなので、また項をあらためて。

背負子店主

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