日常に架ける橋

「私達の作っている器は日用的に消費されていかないことには継続できないんです」
瀬戸の、とある陶工さんの言葉。

背負子が移転して1年が経過し、「華々しく周年行事をしたいとは思わない」という旨を記しました。この時は詳しく触れなかった、その心情について、今回は綴っていきます。

僕たちは生活者の日常の中にありたい。背負子に限らず、四季の食卓も、四季のひとさじも、それぞれが先人達が育んできた食文化を繋ぎ、人々の日々の食生活を紡ぐ糸の一本であるようにと願っての商いです。

「日常」というと、代わり映えしない退屈な繰り返しの日々ように聞こえるのかもしれないけれど、そんなことはありません。昨日までなかったトマトは今日は並んでワクワクしたり、生産停止となったお茶が売り場から消えてさみしかったり、一日一日に今日という日でしかありえない微かな変化があり、それによってもたらされる心の動きがあります。イベントのような華々しさはないけれど、ささやかな一喜一憂があります。どちらが良いということではありません。僕らは後者を大事にしたいだけです。毎日のようにスーパーマーケットが安売りのチラシを出し、毎日のようにどこかでイベントが開催されている中で、安くも賑わってもいないけど、ただ静かに佇む存在があってもいいんじゃないかなと思っているだけです。

それにしたって静かに過ぎるのが、問題なわけで。

商いであるからには、冒頭の陶工さんの言葉通り「日用的に消費(利用)されていかないことには継続できない」のです。

継続が危ぶまれるほどに、日常的に利用していただけないのは、きっと僕らの考える日常とポテンシャルカスタマーたる生活者の皆さんの日常との間にギャップがあるからなんだろうと思う。その仮説に立つならば、ふたつの日常の間に橋を架けていかなければならない。

配達サービスだったり、喫茶であったり、これが橋たりえるのではないかなと思うことを少しずつ始めてきて、それでもまだ足りない、あるいは脆弱であるようだから、もっともっと頭を捻ってアイディアを絞り出していかなければならない。守りたいものを毀損しないように、注意を払いながら。

過分な装いを拒絶する食材の潔さ。
理に適った道具たちが作る暮らしのリズム。
愛らしさ、美しさ、そしておいしさがもたらしてくれる日々の幸い。

繋いでいきたいものがここにはあります。僕らのかける橋が、みなさんに届きますように。

https://shoico.thebase.in

背負子 店主

 

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