ショーシャンクの食卓に#23 – 信者くん

瀧波ユカリさんの漫画『臨死!!江古田ちゃん』に、「信者くん」というキャラクターがいる。物事のうわべしか目に入らず、真実の愛を語りながら、彼に合わせて猫を被っている偽りの江古田ちゃんを愛しており、愛すれば愛されると思い込んでいて自分の脳内脚本通りに物事が進まないとすぐに激情する、要するにかなりイタい男性だ。

その信者君が、たしか伝統工芸士になろうとするエピソードがあった。それを読んだとき、僕は穴があったら入りたい気持ちになった。「伝統」「工芸」「後継者不足」…などといったワードに、かつて心を動かされた自分を見ているようだったからだ。

猪狩史幸さんと出会い、その後何度か言葉を交わしているうちに、僕は「漆掻きを目指す道もあるかな…僕にはそういう道がふさわしいんじゃないかな…この出会いはそういう導きなんじゃないかな…」なんて考え始めた。なんとも浅はかだったと思う。その時は予感めいたものを感じていたけれど、実のところ、不満で不満でしょうがなかった自分の境遇から逃げようと、あるいは承認欲求を満たそうとしていたのだと、今では断じられる。恥ずかしい…

猪狩さんは、自ら漆を掻き、器作りもする職人。『隗より始まる漆の器』初日、在店してくれた猪狩さんに、お客様のひとりが訊ねた。

「漆掻きと塗り、どちらかと言うと、どっちが楽しいんですか?」

短い沈黙の後、猪狩さんはこう答えた。

「楽しいかって訊かれると…どっちも辛いことばっかりですけどね。」

その言葉は、現実の厳しさを示すと同時に、彼の職人としての自尊心と謙虚さを感じさせるものでもあった。僕は、かつての自分の頭を平手でひっぱたかれたような気分になった。

今なら理解できる。仕事への深い思い入れはあれど、楽しいという言葉では片付けられない心情。生業として胸を張れるかと言うと、そうもいかない歯痒さ。安易に憧れられたり褒めそやされたりすることへの、「そういうんじゃない」という違和感。自信を持って明快に答えることをためらわせる、諸々の思い。

漆掻きという道に心が傾いたかつての自分と、今の自分がどれだけ隔たっているかというと、実のところそれほどでもない。食の道と漆掻きは、漆の器を介して繋がっている。だからこそ、軽率ではあったにしろ、惹かれたのかもしれない。少し後ろ髪を引かれる思いはあるけれど、興味があるものすべてにヒョイヒョイ飛びつかなくたって、繋がっている感覚があれば立ち位置を動かす必要はない。つまり、関心ごとのある身の回りの世界と繋がっている感覚が得られる場所こそが、自分にふさわしい場所と言えるのだと思う。そのふさわしさがただの思い込みでなく、確かな重力(現実的な話として、そこには経済力も含まれる)を感じながら、地に足をつけて生きられる場所。

繋がっている感覚が得られるほどに、世界は大きくなり自分は小さくなる。どんどん点に近づいていく。ただの点になれた時、僕らは自信を持ってこう言うのかもしれない。

「なにもかもが楽しいですよ。」

信者くんはね、繋がっていない。すがりついているだけなんだよ。斯く言う僕も、彼のことを笑えた立場ではない。いつ切れるかもわからない危うい糸を、強靭なものに変えていかなくてはならない。

背負子 店主

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