ショーシャンクの食卓に#28 – 幻想と実際のあいだ

「作り手の顔が見えると愛着が増す」とか
「素晴らしい仕事には作り手の人柄が現れてる」とか

本当にそうなんですかね?

僕は、とってもおいしい料理を作るクソ性格悪いシェフや、お人柄は良くて誰からも愛されるけど僕の目から見たら平凡かそれ以下のものしか作っていない職人も知っているので、甚だ疑わしいなと思ってしまう。会ってみたら全然そりが合わない人だったら、その人が作るモノへの愛着が減じるなんてこともない。

「作り手の顔が見えると愛着が増す」ということがあるのはわかる。けれど、それを商人が売り文句のように言ってしまうことには違和感があるし、もっとはっきり言うと手抜きだと思う。

「素晴らしい手仕事には作り手の人柄が現れる」と思いたいのはわかる。悲しいかな、ジミヘンはヤク中で死んだし、ケヴィン・スペイシーは未成年へのセクハラでキャリアが崩壊したけどね。それぞれに偉大な音楽人、映画人であることに変わりはない。

もっと端的に言うなら、例えばミケランジェロや俵屋宗達の人相や人格なんぞ、知ったこっちゃないのだ。縄文人の性格など知る由もないが、土器の芸術は爆発しているのだ。

作り手の立場に立って話をしたい。冒頭の二つの言葉は、作り手にとって、素直に頷けるものとは限らない。

「私が表に出て来なきゃ愛してもらえない程度のモノなのかな…」
「仕事を評価してもらえるのは嬉しいけど、それで私のことをわかったつもりになられても…」

そんなふうに悩んでしまうケースだってあるのだ。知られること、売れることは嬉しいけど…というジレンマ。

幻想を商売道具にできる人もいれば、そうではない人もいる。情報化社会のなかで、隠遁しながら生業を営むのは、そう容易なことではない。情報はとてつもなく大きな武器だ。ただ、巨大であるが故に、押しつぶされそうになる人もいる。生業を成り立たせるには、ときに露出が必要で、その恩恵も少なからずあることや、情報を扱う仕事もまたたいへんであろうことを、頭では理解していても心がついていかない人もいる。僕自身が、どちらかというと後者だから、同じような人の側に立ちたい。けれどそちらに傾きすぎることの危うさも、肌身で感じている。

作り手と自分の生活を、経済的にも環境的にも守りたい。あちらに寄せつつこちらを守る、外交手腕が問われている。今のところ、うまくやれてる自信ない。

モノづくりへの幻想に絡めて、家庭料理のそれにも再び言及したかったのだけれど、ややこしくなりそうなので、それはまたあらためて。

背負子 店主

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