ショーシャンクの食卓に#30 – 隗より始める日々の食卓

猪狩史幸個展 隗より始まる漆の器 は、ついに最終日。ここであらためて説明すると、このタイトルは「隗より始めよ」という「遠大なことを望むなら、まず手近なところから始めるものだ」という意味の中国の故事をもじったもの。それを踏まえた上で、以下の引用文をご覧いただきたい。

おいしく料理を作りたいと思う心と、おいしい料理を作るということは似ているが、同じではない。私達は、したいと思っても、しようと思うのはなかなかだ。しようと思っても仕上げるまでには時を必要とする。だが、したいと思っている心を、しようと心するには一秒とかからない。まず希望を持っていただきたい。やってみたいという希望を持ったら、やりとげようと決心していただきたい。決心したならば、すみやかに始めていただきたい。むつかしいことは何もない。やってみない先から、とてもできないと思いあきらめている人が、余りにも多すぎはしないだろうか。料理は、いつも我々日常生活と共にある。そしてそのこつも、いつも我々の手近にある。

ショーシャンクの食卓に#13 でも引用した、北王子魯山人の言葉だ。ここにも「手近」という言葉がみつかる。

手近であることと簡便であることは、同義ではない。簡便性はいろんなことを容易に実現させ、それはそれで楽しいことなのかもしれないけれど、味を二の次として、真実おいしい料理への中継ぎと考えていると、いつのまにかそこに満足して抜けられなくなってしまうことが恐ろしい。あれもこれもと欲を出して簡便性によりかかるよりも、たとえば、常日頃から食卓上の手前にあるご飯や味噌汁から、あるいは何度食べても飽きない好物ひとつから、味を知り、味を楽しむことを始めてみる。先を急がず落ち着き払って経験を積む。その経験は、きっと強固な土台となって、こみあげてくる真心からうまいものを作れるようにしてくれる。

「真心こめて」と言うのは簡単だけれど、真っ当な味を解せずして真心などあり得るだろうかと思う。「真心」を辞書で引くと「偽りや飾りのない心。真剣につくす心。」とある。つまり真心を会得するには、偽りや虚飾を排さねばならない。ここにハードルが生じる。偽りや虚飾を排した時に自分に残っているものの心細さが、二の足を踏ませる。最初は心細くても良いのだ。隗より始めよう。真心は、心細さを乗り越えた先にある。

最後に話を器に戻そう。猪狩さんの器は、真心の器であると思う。自らを漆の近くに置き、神経を研ぎ澄まして漆の持つ特質を鋭敏に察知し、その真実に迫ろうとする試みの中から生まれた器なのだから。その器が手元にあることで、僕も真心で応じねばと思うのだ。どんなに簡素で面白みに欠けるようなものであったとしても、できることがどれだけ少なかろうとも、真実おいしい食べ物で。

背負子 店主

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