吉田玲奈の仕事 – 四季の食卓[ケ・ハレ]

2016〜2017年の間に料理教室のような形式で行っていた、食卓提案の催し『四季の食卓』をリニューアルします。舞台は自宅から背負子へ。 形式は教室から会食へ。

さらに、より幅広いニーズにお応えできるよう、[ケ]と[ハレ]という二通りのスタイルを用意します。

[ケ・ハレ]については後述します。お話が少々長くなり、またご存知の方には釈迦に説法かとは思いますが、食生活にも密接した大切な概念だと思われますですので、ご一読いただけましたら幸いです。


四季の食卓[ケ]

吉田玲奈が主催する食卓提案の催しです。四季折々の旬の食材を、日々の食生活の中で上手に活かすヒントを、実際の料理と共に提供します。

内容

お食事
レシピの配布
主催者による解説とご参加の皆様との質疑応答

場所

背負子
※通常営業時間外、または臨時休業しての開催となります。

日時

当サイト及びSNSなどで随時告知いたします。

参加費用

お一人様3,000円を基本としておりますが、内容によって変動する場合がございます。

参加お申し込み方法

当サイト及びSNSなどで随時告知いたします。


四季の食卓[ハレ]

背負子を貸し切ってのお食事会。主催者はお客様です。
ご家族やお仲間同士でのお祝い事、プロポーズなどにご利用ください。

[ケ]と同様に旬の食材を用い、ご相談に応じて場にふさわしいお食事を用意させていただきます。

店舗キャパシティの都合上、少人数でのご会食向きである旨、予めご理解とご了承のほどお願い申し上げます。

ご予算

お一人様3,000円(お飲み物別途)から応相談

受入可能人数

4名まで(未就学児童 +2名まで可。お食事の有無、代金については応相談。)

ご予約

開催希望日の1ヶ月前までを目処に、まずはメールにてお問い合わせください。
休業日を挟む場合など、返信が遅れる場合もございますので、予めご了承ください。


注意事項

キャンセル

せっかくの食材や仕込み途中のお料理がお客様のお口に入らないのは、私たちの望むところではございませんし、お客様にとってもそれはご同様かと思います。慌てず、よくよくスケジュールと相談した上で、お申し込みまたはお問い合わせください。

止むを得ずキャンセルなさる場合は、参加費またはご予算を基準に以下の金額を頂戴いたします。

  • 3日前まで:無料
  • 2日前〜前日:確定金額の50%
  • 当日:確定金額の100%

アクセス

背負子map

ご来場には、公共交通機関をご利用になるか、お車でのお越しの場合には近隣の有料駐車場をご利用ください。

その他、ご留意いただきたいこと

小さなお子様連れの皆様には、お子様たちが出来る限り快適に過ごせるよう、抱っこ紐や遊び慣れたおもちゃ、大好きな本などをご持参いただけると良いかと思います。

背負子は2階に位置し、階段が比較的狭く急で、また店内も手狭であるため、ご高齢の方や、お体に障害をお持ちの方にとっては快適にお過ごしいただくことが難しい環境かもしれませんが、いずれの場合におきましても、私たちにできる限りの誠意を尽くさせていただきますので、まずはお気軽にご相談ください。



[ケ・ハレ]概説

[ケ・ハレ]とは、柳田國男によって見出された、日本社会における伝統的な世界観の一つです。ケ(褻)は普段の生活である「日常」を、ハレ(晴れ、霽れ)は儀礼や祭り、年中行事などの「非日常」を表します。

ハレの場においては、衣食住や振る舞い、言葉遣いなどは、ケとは画然と区別されていました。

もともとハレとは、折り目・節目を指す概念です。ハレの語源は「晴れ」であり、現代でも「晴れの舞台」(=生涯に一度ほどの大事な場面)、「晴れ着」(=折り目・節目の儀礼で着用する衣服)などの言い回しで使用されています。これ対し、かつては普段着を「ケ着」と呼びましたが、明治以降から言葉として使用されなくなったそうです。また、現代では単に天気が良いことを「晴れ」と言いますが、江戸時代まで遡ると、長雨が続いた後に天気が回復し、晴れ間がさしたような節目に当たる日についてのみ「晴れ」と記した記録があります。それだけハレが「しみじみとありがたみを感じる格別なもの」であったことが窺えますね。

1603年にイエズス会が刊行した『日葡辞書』には、「ハレ」は「Fare」と表記され、「表立ったこと、または、人々がたくさん集まった所」と説明され、「ケ」は「Qe」と表記され、「普通の、または、日常の(もの)」と説明されてます。

柳田國男によれば、ハレとケの区別の曖昧化が進行していること(例えば、ハレの儀礼時にのみ行っていた特別な飲食が日常的に行われる、など)が、近代化による生活文化の変容を指摘する一つの論拠となります。柳田は、何世代か前の人々の「ハレとケ」の区別の仕方と、柳田の同時代の人々の「ハレとケ」の区別の仕方を比較し、そこから未来への潮流を読みとろうとしたのです。

柳田が目指した過去・現在の比較から未来を読みとくという志向は長らく看過され、民俗学においてはもっぱら“「ハレ」の非日常=儀礼や祭り”に対して関心が寄せられていましたが、1970年代に入ると、このテーマについての議論は、新たなステージへと進みました。「ハレとケ」の関係に新たに「ケガレ」という概念を加味するべきではないかということなどが語られ、また論者によって「ハレ」と「ケ」と「ケガレ」(あるいは「ハレ」と「ケ」)に対する捉え方が多様であることが確認されたのです。

「ハレ」と「ケ」、そして「ケガレ」の議論の隔たりは現在も解消されておらず、統一的な定義を打ち出せずに今日に至っているのですが、一説によれば、日常生活を営むための「ケ」のエネルギーが枯渇するのが「ケガレ(褻・枯れ)」であり、「ケガレ」は「ハレ」の祭事を通じて回復するとされています。


蛇足ですが、ここからは筆者(背負子店主)の私見です。

柳田が指摘した「ハレとケの区別の曖昧化」によって、「ケガレ」つまりは日常生活を営むためのエネルギーの枯渇が生じているという側面もあるのではないでしょうか。「エネルギーの枯渇」は、もっと平易に表すなら「心にぽっかりと空いた穴」であり、その穴を埋めようとして次から次へと何かに飛びつきすがりつかずにはいられない心象は、「ケガレ」という病理による症状の一つなのではないでしょうか。だとするならば、「ケ」と「ハレ」の区別を実生活の営みの中で再考し、取り戻していくことは、「ケガレ」の浄化に繋がるように思われます。

改めて振り返って見ると、これらの仮説こそが私たちの仕事のスタート地点であったような気がします。元からそんな小難しいこと考えていたわけもなく、なんとなく、ですけどね。

恥ずかしながら、私たち自身も試行錯誤の途上におります。『四季の食卓』を通じて皆様と共に、「ケ」を慈しみ、「ハレ」を歓びながら、地に足のついた食文化を育んでいけたらと願っています。

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